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【前回まで】千日興行の研修では、二番館のもぎりを担当した。そして配属先も、結局その千日興行になった。
※実話をもとにした短編連作です。人名はすべて仮名です。
配属の発表は、拍子抜けするほどあっさりしていた。
「千日興行。大劇ビルの管理事務所や」
予定通りである。喜んでいいのかわからないまま、僕は大劇ビルの上の階にある事務所へ向かった。
部屋には思ったより人がいた。部長、課長、係長、主任、そして先輩社員。そこに新入りの僕が加わる。ピラミッドの一番下は、意外と座り心地がよかった。
同じ部屋に、年配の広告担当の男性もいた。仕事は映画の看板描き。写真一枚から名場面を選び、文字と絵に起こして立て看板に仕上げる。上映は二週間から三週間弱。基本は二本立てだから、毎日どこかの映画の看板を描いていることになる。
その横で、僕たちは電卓を叩く。映画の絵と経理が同居する部屋。実に千日前らしい取り合わせだった。
肝心の仕事は経理である。朝、各施設の売上を金庫から集め、入金し、伝票を書く。入金伝票、振替伝票。複写式の紙に、もちろん手書き。デジタルのデの字もない。
僕は経営学部の出身だ。聞こえはいい。ただ、簿記はほぼ未経験で、貸方と借方のどちらがどちらかもわからない。それでも先輩方は、笑いながら一から教えてくれた。ここから僕の経理人生が始まる。
とはいえ、仕事はのんびりしていた。午前中は、集めた売上を本社前の銀行に預けに行く。用事はそれで終わりである。あとは近くの喫茶店で時間をつぶし、昼はご飯を食べてビリヤードを一ゲーム。経理処理は昼からゆっくり始める。
経理とは、こんなに優雅な仕事だったのか。入社したばかりの僕は、本気でそう思った。
そんな僕に割り当てられたのが、射的場の経理だった。
射的場は、大劇ビルの1階。ビルの横手にあり、道路に面した一角である。事務所は上の階だから、帳簿の数字だけ眺めていても実態はわからない。そこで僕は、話を聞きに階下の射的場へ通うことになった。
まさか、的屋の帳簿をつける日が来るとは。夢にも思わなかった。ただ、最初の練習台としては、ちょうどよかったのかもしれない。
射的場の担当は二人。年配の男性の田島さんと、女性の山口さん。(仮名)
射的にも原価率というものがある。売上のうち、景品としてお客さんに返す割合だ。月の売上は意外と多く、確か150万円ほどあった。
ある日、いつものように射的場へ話を聞きに行くと、田島さんが景品の棚で、何やらごそごそやっていた。見ると、景品の端に、ほんの少しだけテープを貼っている。
「田島さん、それ……」
僕は新人なりに勇気を出して聞いた。
「そんなんして、ええんですか」
田島さんは手を止めずに言った。
「ちょっと落ちにくうしてるだけや。ええねん、ナンバやから」
ナンバやから。
大学では教わらなかった理屈である。しかし、この一言で全部が片づく空気が、千日前には確かにあった。
そのとき、僕はもう一つのことに気づいた。
テープを貼る田島さんの右手の人差し指は、先が欠けていた。
射的は、人差し指で引き金を引く遊びである。その射的場を任されているのが、人差し指の先のない人。
事務所では、こんな噂を耳にしていた。若い頃、徴兵を逃れるために、自分で指先を切り落としたのだという。本当かどうかはわからない。聞く勇気もなかった。
もし噂が本当なら、引き金を引かないために指を失った人が、いま、お客さんに引き金を引かせる商売をしている。人生とは、なんとも皮肉なものだ。
田島さんは何も言わず、景品の位置を直している。その横顔は、いつもと変わらず穏やかだった。
僕は何も聞かなかった。気づかなかったふりをして、景品の話に戻った。
事務所へ戻る道すがら、僕は思った。貸方と借方の次に覚えるべきは、人の過去を詮索しないこと。そして、困ったときの魔法の言葉「ナンバやから」。この二つらしかった。
(Night 7へ続く)