門前払いの春
Night 1

くらしの選び方ノート編集部による商品選びの解説 カテゴリ:

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1983年、ぼくは大学に入り、迷わず映画研究会の扉を叩いた。
使うのは8ミリフィルムである。撮ったら終わりではない。そこからが本番だった。

まず、フィルム代と現像代が高い。失敗しても撮り直しは利かない。
現像から戻ってきたら、いよいよ編集だ。
机に編集機を置く。左右に巻き取り用のリワインダー、手前にフィルムをつなぐスプライサー。
真ん中のビューアーにフィルムを通すと、豆粒ほどの画面で映像が動く。
ハンドルを回して一駒ずつ送り、切る位置を探すのだ。
ここで初めて、手ブレと指の映り込みという二大事故が発覚する。

切る駒にペンで印をつけ、スプライサーでガチャンと切る。
別のカットを重ね、小さなテープで貼ってつなぐ。
穴の位置がずれたら、上映のとき引っかかる。
切りすぎたら、元には戻らない。
床に落ちた数センチのフィルムを、四つん這いで探す。
音はカセットテープに別録りして、あとで合わせる。
当然ずれる。登場人物の口が閉じてから、セリフが聞こえてくる。
ぼくらはそれを「味」と呼んだ。

十数分の作品に、数か月かかった。
完成した夜、初めて映写機を回して、部室の壁に映した。
拍手は三人分だった。全員、出演者だった。
それでも、あの手間が楽しかった。ぼくは本気で思った。
この仕事を一生やりたい、と。

そして就職活動の季節がやってきた。
志望はもちろん映像関係。ところが三流大学の履歴書は、東宝や東映の受付で、枯れ葉のように舞っていった。
「資料はお預かりします」
その「お預かり」が「お返ししません」の丁寧語だと知ったのは、三社目あたりだった。

営業は、無理だ。
知らない人に笑顔で物を売る自分を想像しただけで、顔の筋肉がストライキを起こす。
ゲームも好きだったのでメーカーにも当たったが、門は固かった。
問屋に行くと、面接官にこう言われた。
「君、ゲーム好き?」
「はい!」
「うちは箱を運ぶ会社だけどね」
好きと運ぶは、別の競技だった。

そんなある日、一社の名前が目に入った。日本ドリーム観光である。
奈良と横浜にドリームランドを持つ会社だ。
ただし、自分で遊園地を回しているわけではない。
土地を貸し、その賃借料で稼ぐという、ちょっと変わった商売をしていた。
営業は、傘下の各社が受け持っている。
その一社、千日興行は、映画館にボウリング、ビリヤードと、
遊びの総合商社のような会社だと聞いた。
「映画館があるなら、映像の端っこには触れるかもしれない」
ぼくは、藁にも映写機にもすがる思いで受験した。

面接は手強かった。質問が飛ぶたびに、額が汗を撒き散らした。
ハンカチが雑巾になった頃、最終面接は終わった。

そして、連絡が来なかった。
一週間、二週間。電話は鳴らず、郵便受けには広告しか入らない。
映画なら暗転してテロップが入る場面だ。ぼくの場合は「その頃、彼は暇」だった。

覚悟を決めて、こちらから電話をかけた。
「先日最終面接を受けました者ですが……」
「少々お待ちください」
保留音が長い。人生がかかっているのに、曲は妙に明るい。
「……ああ、君ね。採用の方向で進めてますよ」
「ご連絡は……」
「出したつもりでした」
つもり。ぼくの二週間は、「つもり」に食われていたのだ。

受話器を置いて、思った。
8ミリは、切りすぎたら戻らない。
だが人生のフィルムは、つないでみるまで、どんな絵になるかわからない。

こうして、就職は決まった。
映画会社でもゲームメーカーでもない。土地を貸す会社の、そのまた出向先である。
そのフィルムが、とんでもない場面につながっていくことを、
このときのぼくは、まだ知らない。

(Night 2へつづく)