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【前回まで】お寺で座禅の研修を受けたあと、地下のキャバレーで1週間の研修を受けた。
次の研修先は、奈良ドリームランドだった。
入社した日本ドリーム観光は、もともとこの遊園地を開いた会社である。開園は1961年7月1日。創業者がアメリカのディズニーランドに惚れ込み、「日本にもあれを」と夢見たのが始まりだと聞いている。ディズニー側は協力的だったが、「ディズニーランド」の名前を使うことは認められなかった、とも言われている。
それでも、お城があり、メインストリートがあり、ボブスレーまである。見た目は、どこからどう見ても「あの夢の国」だった。
ピークの1970年代には、年間150万人から160万人が訪れたという。夢の国は、たしかに日本の家族を夢中にさせていたのである。
僕が行った1987年には、その賑わいはもう遠い話になっていた。
平日の園内は、ガラガラだった。来るのは遠足の子供たちくらいで、あとは風が通り抜けるだけ。お城はあるのに、住人がいない。夢の国というより、夢のあとの国だった。
僕の担当は、ボブスレーの操作である。
ディズニーのマッターホーンを手本にした、白いコースを駆け下りる乗り物だ。看板には、時速80キロ、90キロと勇ましい数字がうたわれていたと記憶している。実際は、そんなには出ない。もちろん安全な速度で運行している。それでも、風を切るスピード感はそれなりにあって、乗ればちゃんと楽しい。これは間違いない。
夢の国の数字は、少しだけ夢を見せてくれる。そういうことにしておこう。
問題は、お客さんがいないことだった。
持ち場に立つ。そりが戻ってくる。誰も乗っていない。また立つ。時計を見る。まだ十分しか経っていない。
待つのも仕事、とは言うけれど、待つだけの一日は、驚くほど長い。夢の国の時間は、なぜか平日だけ止まっていた。
周りの従業員さんたちも、同じように、お客さんの来ない持ち場で一日を過ごしている。
この人たちは毎日これをやっているのか。そう思うと、一週間の研修で音を上げそうになっている自分が、少し恥ずかしくなった。
正直に言う。この一週間は、とても辛かった。
そんな園に、音が戻る日があった。遠足の子供たちが来る日だ。
歓声が上がり、列ができ、そりが次々に出ていく。コースの向こうから、悲鳴と笑い声が一緒に降ってくる。
「もう一回乗る!」
そう叫ぶ子供の顔を見たとき、僕は初めて、自分が夢の国で働いているのだと思った。
なんとか一週間を乗り切って、僕は次の研修先へ向かった。
のちに、奈良ドリームランドは2006年8月31日に閉園した。横浜のドリームランドも、先に幕を閉じている。今となっては、どちらも過去の遺物である。
寂しいが、それが現実だ。
それでも、あの遊園地がたくさんの人を夢の世界へ連れて行ったことは、間違いない。
僕はその端っこで、白いコースの前に一週間だけ立っていた。
(Night 4へ続く)