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【前回まで】奈良ドリームランドの研修では、ボブスレーの操作を任された。
難波の一等地。御堂筋線の真上、というのが僕の記憶である。唐破風の立派な屋根をのせた劇場が、通りの真ん中で堂々と構えていた。新歌舞伎座だ。
1958年の開場以来、タレントの芝居や歌謡ショーで大阪の観客を楽しませてきた「観光劇場」で、三波春夫さんのワンマンショーが十七年も続いた場所としても知られている。客席は1,600席あまり。設計は村野藤吾。大阪の街の真ん中に、お城のような劇場が建っていたのである。
演目は、同じものを一か月続ける。いわゆる一か月公演だ。毎日同じ芝居が、毎日幕を開ける。
そしてこの劇場の最上階には、日本ドリーム観光の本社の事務所が入っていた。つまり、僕の会社の本社である。のちに経理の仕事を担当するようになると、書類を持って本社へ向かう機会がたびたびあり、新歌舞伎座には何度も足を運ぶことになる。
研修初日、僕は最初の驚きを経験した。挨拶である。
お昼である。太陽は真上にある。ところが、初めて会う人にも、すれ違う人にも、返ってくる言葉はこうだった。
「おはようございます」
昼なのに、おはようございます。夕方でも、おはようございます。一般常識から、少しだけ外れている。
あとで聞いた話では、芝居や放送の世界では、人によって一日の始まる時間が違うので、会った最初の挨拶は時間に関係なく「おはようございます」になった、と言われている。いわゆる業界の挨拶だ。日本ドリーム観光も、この流れをくんでいた。
ただ、僕は入社したばかりの新入社員である。何が常識で、何が非常識なのか、まだ区別がつかない。違和感もないまま、気がつけば僕も、午後三時に「おはようございます」と言っていた。順応力だけは、昔から高い。
考えてみれば、朝から夜までどの時間でも使える挨拶なのだから、実に経済的である。覚える言葉が一つで済む。新入社員にはありがたい。
その証拠に、研修を終えた夜、家に帰った僕は、玄関で出迎えてくれた家族に、思わず言ってしまった。
「おはようございます」
夜の九時である。家族は一瞬、固まっていた。業界の挨拶は、思ったより早く、人を染める。
新歌舞伎座は、各営業会社の中でも、いちばん華やかな場所だった。ここへの配属を希望する人は多かったと思う。
客席に入ると、まず天井や壁を飾る極彩色の絵に目を奪われた。劇場というより、桃山時代のお屋敷に迷い込んだようである。
僕は映画の仕事がしたくて入った人間だ。映画館の暗がりは好きでも、こういうきらびやかな場所には縁がないだろうと、最初から思っていた。
ところが、研修で舞台の裏に入ると、そこには大スターがいた。
高橋英樹さんである。
スクリーンやテレビで見ていた人が、目の前に立っている。頭の中は真っ白になったけれど、口はちゃんと動いてくれた。
「おはようございます」
午後だった。でも、それでいいのだ。ここでは、それが正しい挨拶なのだから。
常識から外れた挨拶に、あのときほど助けられた日はない。昼の「おはようございます」に感謝した。あの一言は、いまでも、僕のいい思い出のひとつになっている。
研修そのものも、それなりに楽しかった。何事も経験である。舞台の裏側には、客席からは見えない仕事がたくさんあって、一日として退屈することがなかった。同じ芝居を一か月続けるということは、毎日同じ時間に、同じ準備を、同じ丁寧さで繰り返すということでもある。派手な舞台の下を、地味で確かな仕事が支えていた。
ちなみに後日談がある。
のちに新歌舞伎座へ配属された人たちは、みんな、どこか大阪でいう「シュッとした」人たちだった。立ち姿、着こなし、話し方。さすがは日本ドリーム観光の中でも、いちばん華やかな職場である。
それを思うと、「おはようございます」と言えただけで舞い上がっていた新入社員の僕は、やはり、配属とは縁がなかったのだと思う。
それでも、縁は切れなかった。経理の仕事で本社へ通うようになり、最上階の事務所へは、何度も足を運んだ。
僕には、僕の行く場所があった。ただ、この劇場は、思いがけず近い場所にあったのである。
そして、あの昼下がりの「おはようございます」だけは、いまも耳の奥に、はっきりと残っている。
(Night 5へ続く)